パラスポーツ最高峰を目指す姿を追いかける最前線レポート--Next Stage--企画・取材:MA SPORTS

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2021年8月13日

三阪洋行さん(JPCアスリート委員会委員長)

「選手やコーチの経験を活かして、現場の声を届けたい」

車いすラグビー元日本代表の三阪洋行さんが、6月24日付でJPCアスリート委員会の委員長に就任した。現役引退後は、指導者や競技団体理事の経験を活かして、競技環境の改善や選手のキャリア相談など、継続して選手をサポートしている。そんな三阪さんに、新委員長としての意気込みや選手へのメッセージを聞いた。

三阪さんはこれまでもアスリート委員会の活動に幹事として積極的に関わってこられました。どのような思いで取り組まれていたのでしょうか?

私はロンドンパラリンピックで現役引退を決意した時、この先はどんな人生になるんだろうと不安に感じていました。所属先にはアスリート雇用で入社していましたし、強化指定選手や日本代表という肩書がなくなったら、自分はどうなるのかという悩みを周囲に相談できずにいたんです。その後、縁があってコーチ業や競技団体の運営を経験するわけですが、選手目線だけではない多角的な視点を養ったことで、どういう発言の仕方をすれば選手個人の声が届くのかを考えるようになりました。アスリート委員会は、まさに競技環境の改善要望や引退後のキャリア形成の課題といった選手の声を集約し、組織として発信していく役目がありますので、自分の経験を活かせる場所だと思って活動していました。



新委員長として、どのようなことに取り組んでいきたいですか?

アスリートの「競技環境の改善」「キャリアトランジション」「人間力の形成」がアスリート委員会の大テーマです。「キャリアトランジション」は、競技を続けていく上でのキャリアもそうですし、引退が迫ってくる中でどういう選択肢があるのか、事例などと照らし合わせてベストなものを提供していく、という議論をしたいですね。「人間力の形成」については、コロナ禍にあり、アスリートの発言がネガティブに捉えられることもある状況下でどんな振る舞いができるか、自身の経験で社会貢献し、リスペクトされるような人物になるにはどうすればよいかを考えていきたいと思っています。そうした話し合いを委員たちがより主体となって進めていける場にしたいです。



現役時代の経験など、委員長としての業務に活かせることはどんなことでしょう?

もともと健常のラグビー選手とは交流がありますし、日本ラグビーフットボール協会の安全対策委員をしていることもあり、ラグビーというひとつの競技を通してアスリートにさまざまな情報提供ができることは強みかもしれません。車いすラグビーでは選手からナショナルチームのコーチへと立場を変化させながら関わってきたので、その経験を活かした行動や発言をしたいと思っています。



「車いすラグビーワールドチャレンジ2019」で日本代表アシスタントコーチとして指示を出す三阪さん

三阪さんは、昨年まで車いすラグビー日本代表のアシスタントコーチを務めておられました。指導者として気を付けていたことなどを教えてください。

時代が変われば指導方法も変わりますから、2015年に日本代表アシスタントコーチに就任してからは、自分の経験を押し付けないこと、肯定しながら成長を促すということを意識していました。リオパラリンピックでは、不眠不休でスタッフと最善の策を模索する日々でしたが、メダル獲得という目標達成にコーチとして関われたことが本当に幸せで、素晴らしい経験になりました。このコロナ禍においては、自分を取り巻く環境が予期せず変化し、悩んだ結果、日本代表のアシスタントコーチはいったん離れることにしました。ケビン・オアー監督はもともと、アシスタントは不要という考えだったんですが、久しぶりに会った時に「君はアシスタントコーチの大事さを教えてくれたひとりだ」と言ってくれて、とても光栄でした。今も強化委員など別の活躍の場を与えていただいているので、そこでチームに貢献できればと思っています。



今後はどんな活動をしていきたいですか? また、これまでの経験をどう社会に還元したいですか?

2017年に車いすラグビーのクラブチーム「TOHOKU STORMERS」を結成し、選手兼ヘッドコーチをしています。選手には、高みを目指すなかで、競技者として振る舞いや、人間性を養っていくことが大事だと改めて伝えていくつもりです。また、パラスポーツや障害者理解を深めるための活動として、「D-beyond」という団体を作りました。私は選手や指導者として夢を叶えていくなかで、「できないをできるに変える」「自分の限界を決めつけない」「自分の価値を高める」ことが大事だと学びました。この経験を障害がある子どもたち、とくに特別支援学校に通うような重度の障害がある子どもたちに伝え、彼らが自分の可能性に気付き、夢にチャレンジするサポートしたいと考えています。

三阪さんは「挑戦してきたことの価値は変わらない」と選手にエールを送る



東京2020パラリンピックは1年の延期を経て、間もなく開幕します。大会に関わる選手たちにメッセージをお願いします。

新型コロナの影響が長引き、当初みんなが思い描いていたものとは違う結末になりつつあります。ゴールでも新たなスタートでもなくなりそうな状況です。でも、周りが何と言おうと、挑戦してきたことの価値は変わらないですし、障害やパラスポーツに対する社会の認識に変化を与える機会であることには変わりはありません。望んでいる通りにならないことに失望せず、大会に臨む意義やその先のビジョンを見つめなおす機会にしてもらいたいです。閉幕したあとは、この状況の中で自分たちの競技を持続していくためにはどうすればいいのかという議論が始まっていくと思います。その時に、改めてアスリートが訴えたいことがちゃんと訴えられる環境を作っておきたいと思っていますので、一緒に頑張りましょう!

(MA SPORTS)

プロフィール

三阪洋行さん
1981年、大阪府生まれ。バークレイズ証券所属。高校生の時にラグビー練習中の事故で頸椎を損傷し、車いす生活となる。8カ月間の入院生活の後に車いすラグビーと出会い、わずか4年後には最年少で日本代表に選出された。2004年アテネ大会、08年北京大会、12年ロンドン大会と3大会連続でパラリンピックに出場。ロンドン大会では副主将を務め、4位入賞を果たした。引退後は日本代表のアシスタントコーチを務め、16年リオデジャネイロパラリンピックで銅メダル獲得に貢献した。20年には一般社団法人D-beyondを設立し、パラスポーツや障害者解を深めるための活動にも取り組んでいる。JPCアスリート委員会幹事を経て、21年6月24日付で委員長に就任。日本車いすラグビー連盟理事および強化委員、日本スポーツ振興センタースポーツJAPANアンバサダー、日本ラグビーフットボール協会安全対策委員会委員。