パラスポーツ最高峰を目指す姿を追いかける最前線レポート--Next Stage--企画・取材:MA SPORTS

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2025年6月16日

陸上 小松沙季選手

カヌーから陸上に競技転向の小松がやり投げで好記録をマーク


競技転向後2カ月で世界に通用する力を示した小松

第一線で活躍したアスリートが競技転向し、新しいステージで再び世界を目指す例が増えている。パラカヌー日本代表として東京2020パラリンピック競技大会(以下、東京2020大会)、パリ2024パラリンピック競技大会(以下、パリ2024大会)と2大会連続でパラリンピックに出場した小松沙季(電通デジタル)もそのひとり。カヌー選手としての活動は今年3月いっぱいで終了し、現在はパラ陸上のやり投に挑戦している。

練習拠点は出身地・高知県。小松の障がいクラス(F54)は座って投擲を行うが、使用するスポーツセンターには専用の投擲台がなく、土嚢をおもり代わりにするなど工夫をしてトレーニングに取り組んでいる。10回ほどの練習を積んで、4月の日本選手権にエントリーした小松。大舞台がデビュー戦となったが、1回目で14m66を投げ、いきなりパラ陸連の強化B標準記録を突破する大器の片鱗をみせた。2度目の競技会となった6月のジャパンパラ陸上競技大会では、9月末に開幕する世界選手権(インド)の日本代表派遣基準記録(15m09)を大幅に上回る16m99をマーク。圧巻のパフォーマンスに会場は大きく沸いた。

小松は「日本選手権以降、スイングスピードを上げるために1キロのメディシンボールを購入して早く投げる練習をしてきた成果が出たのかも」と明かすが、パリ2024大会の銅メダル相当という好記録には「びっくりした」と目を丸くした。

小学生でバレーボールをはじめ、高校時代は春高バレーに出場。大学卒業後はVリーグ2部の静岡のチームでプレーした。その後、病気のため突如車いす生活となり、進む道を模索していた時に選手発掘事業のJ-STARプロジェクトに参加。そこでカヌーに出会い、本格的に練習に取り組むとぐんぐんと成長。ワールドカップ入賞など結果を残し、競技を始めてわずか半年で東京2020大会の日本代表に選ばれた。パリ2024大会は体調不良のため棄権した。

ロス2028パラリンピック競技大会を見据えるなかで小松が大事にしたのは、「パラアスリート、ひとりの人間としてより魅力的でいたい」という想いだった。新しいチャレンジをすることで、パラスポーツに興味を持つ人が増えたり、社会が良くなるきっかけになるかもしれない。それを体現する手段が競技転向であり、バレーボールやカヌーの経験が活かせるやり投を選んだのだという。

「やりは自分の横で離す。まだ分からないことが多いけれど、バレーボールのサーブで遠くに振り切る感じや、カヌーの捻転動作、筋肉のつっぱりを利用して回旋を使えるようにするトレーニング経験などは、活きているかなと思う」と、小松は話す。

ジャパンパラ陸上競技大会で出した16m99は、今季世界最高記録相当だ。世界選手権でのさらなる活躍も期待されるが、小松は「記録というより、国際大会ならではの雰囲気や試合の流れ、アップの仕方なんかを学んできたい」と冷静に語り、前を向いていた。

(MA SPORTS)