ジャパンパラとは?

ジャパンパラ競技大会とは、日本パラスポーツ協会と競技団体が共催して開催する、日本国内最高峰のパラスポーツ競技大会です。

陸上競技や水泳などの個人競技では参加標準記録を設けており、大会に参加するためにはその記録を突破しなければなりません。参加者は日本国内のアスリートに限定しておらず、海外選手が参戦することもあります。
大会の記録は国際の公式記録としても認定される、日本国内では数少ない国際公認大会です。

車いすラグビーやゴールボールなどの団体競技では、世界の強豪チームを招き、日本チームの国際競技力向上を目的とした国際大会をおこなっています。世界の強豪チームのプレーを日本国内で目にすることのできる数少ない大会です。

ジャパンパラ競技大会の歴史

1. ジャパンパラ競技大会の設立

1989年に国際パラリンピック委員会が設立されるとともに、パラリンピックや競技別の世界選手権大会が、エリートスポーツ化していく世界的な流れが起きました。その頃の日本の障がい者スポーツ大会には、一生に一度しか参加することのできなかった「全国身体障害者スポーツ大会」(現 全国障害者スポーツ大会)や、各競技団体が自主運営する競技大会などがありましたが、世界的なエリートスポーツ化の動向に対応したものではありませんでした。

そこで当協会では新たに、1992年のバルセロナパラリンピックから参加標準記録の設定が厳しくなると予想された陸上競技と水泳について、競技団体と共催して1991年度よりジャパンパラリピック競技大会(現 ジャパンパラ競技大会)を開催することを決定しました。

この大会はパラリンピックや世界選手権をめざすトップレベルの選手のための大会と位置づけられ、出場するための標準記録の設定、国際競技団体の競技規則やクラス分けを導入しました。

2. 冬季競技大会の開催と競技大会の増加

1993年に第7回パラリンピック冬季競技大会が長野県下で開催されることが決定しました(長野1998パラリンピック冬季競技大会)。当時日本国内では冬季パラリンピックの実施競技の中ではアルペンスキーのみがおこなわれていました。そこでアルペンスキーの競技力向上に加え、クロスカントリースキー、アイススレッジスピードレース、アイススレッジホッケーをおこなう選手の発掘・育成・強化を始めました。そして1994年にアルペンスキーとクロスカントリースキーをおこなうジャパンパラスキー競技大会を開催、翌1995年よりアイススレッジスピードレースとアイススレッジホッケーをおこなうジャパンパラアイススレッジ競技大会を始めました。

その後1998年にはアーチェリー競技大会を追加(2013年に終了)、2014年からゴールボール、ウィルチェアーラグビー(現在の車いすラグビー)の競技大会を追加し、2017年からはボッチャ競技大会を追加します。

現在では陸上競技、水泳、ゴールボール、車いすラグビー、ボッチャ(2021年は実施せず)、アルペンスキー(2021年は実施せず)の6競技大会を開催しています。

3. ジャパンパラ競技大会に選ばれている競技

ジャパンパラ競技大会に選ばれる競技は、国際大会で活躍が期待できるかが基準となっています。種目数が多く、多数のメダル獲得が期待できる陸上競技、水泳をはじめ、多数のメダリストを輩出しているアルペンスキー、ロンドンパラリンピックで団体競技初の金メダルを獲得したゴールボール、リオパラリンピックで銅メダルを獲得したウィルチェアーラグビー(現在の車いすラグビー)、リオパラリンピックで銀メダルを獲得したボッチャが、現在ジャパンパラ競技大会の実施競技となっています。

ジャパンパラ競技大会ロゴの意味

力強いSpirit(精神)を燃える炎(聖火)でイメージしています。また「生命力」もイメージし、花のようにも見えるデザインになっています。